貴様!ちゃねったな!?

チャネリングアーティストZONO&たぬきの太四郎のスピブログ

ブログ3本目


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秋の扉が少しずつ音を立てながら開いてきました

お風呂に入る時に少し肌寒さを感じながら、この先お風呂に入るのが少し億劫になるのかなと

もういっその事お風呂に入らなくていい様に、一瞬で体が綺麗になる機械出来ないかなとか

クズ人間代表の一角、野比の〇太君みたいなこと思いながら

秋の訪れを祝福しております。

 

さて、今回は

「なぜZONOがスピリチュアルを信じるに至ったか」

実際スピリチュアルな世界というのは目に見えない、つまり実態の無い実証がとても難しいものです。

そんなもん信じられるか!!!と言っている中年男性なんか星の数ほどいます。とてもロマンチックですね。

 

僕がスピリチュアルを信じるきっかけの一つとして

「幽霊を見た」

という実体験があるのですが

幽霊というのも実体が無いものなので

見たことない人が殆どなのでは無いでしょうか。

実証が難しいという点ではスピリチュアルと幽霊は似たところがありそうです。

 

そんな実態の無い幽霊を見た話。

 

 

あれは僕がまだ中学生だった頃。

いつも週末になると僕は一人の友人dの家に泊まりに行っていました。

その頃はとても活発だった少年ZONO。

その日は友人dの家に泊まる予定で、dの家に向かう途中、別の友達mの家に寄ったんです。

 

mが言うには

「家の横の側溝にエ口ビデオが落ちてる!」

とのこと。

少年ZONO大興奮でございます。

でもさすがに友達がいる中大興奮するわけにもいかず

その時は必至にクールを決め込んでおりました。

側溝に落ちていたのはエ口ビデオの箱。

 

(中身入ってんのかな…)

 

そりゃあ思春期真っ盛りの中学生です、気になるに決まってます。

 

でもその場は唇を噛み締め、

興味無い俺を演出してみせました。

今思えば俳優真っ青の名演技だったと思います。

 

そして夜、僕は友人dの家に泊まりました。

 

朝方4時過ぎ…

 

目が覚めました。

 

(うう…エ口ビデオが気になる…)

 

 

友人dの家から友人mの家は自転車で飛ばせば8分~10分位で行けるくらいの距離でした。

 

 

僕気づいた頃には、既に自分はペダルに足をかけ、その顔は狩りをするハンターそのものとなっていました。

 

思春期って恐ろしいわ

 

そして僕は友人mの家へ行き、側溝に落ちてるエ口ビデオを手に取り

箱を開けると…

 

 

…な

 

 

…ないやん……

 

 

その時の悲しさ、忘れません

一瞬時が止まったのを、肌で感じたのは

あの時が最初で最後でした。

 

哀愁と絶望に塗れた生きる屍と化した僕は仕方なく再び少年dの家へ帰ることに

 

途中信号に引っかかり、僕は死んだ魚の目でいつもと変わらぬ風景を眺めていました。

 

信号を挟んで道路の反対側、そこにはまだ出来てそんなに月日が経っていない火葬場がありました。

その火葬場は僕の目線からは丁度ガラス張りで、廊下が見えていました。

 

風景を見ていたはずが、僕の目には何故か火葬場が映っていました。

 

そこで

 

僕は

 

確かに見たんです。

 

時間は午前5時前、車も通っておらず、僕以外の時間が動いてないんじゃないかと思うほど静かで、薄暗い景色は何処と無く寂しげな

そんな世界で僕の目に飛び込んできたもの。

 

「それ」は頭に三角の布を付け、白衣装を纏い、髪は黒く、長く、その見た目からは推定で80前後位の老婆。

 

「それ」はガラス張りの廊下の端からゆっくりと姿を現し、ゆっくりと廊下を進み、そしてゆっくり廊下の端へと進み見えなくなった。

 

まさか自分が、こんなにあからさまな「幽霊」のお手本みたいな格好した幽霊に出逢うとは思ってもおらず、

その時は脳の処理が追いつかず、信号が青に変わっていたことに気づいた僕は

何も見なかったかのように、少し遠回りをして友人dの家へと帰った。

 

僕が幽霊を見たのはそれが最初で最後であり、

いや、実際は見ているのかもしれないが、気づいていないのかもしれない。

気付かないふりをしているのかもしれない。

 

それ程に衝撃的な出来事だった。

 

幽霊を見て以来、僕は宇宙人やUMAを信じるようになった。

人間の目に見えないものは確かに存在する

という事を身をもって体験したからだ。

 

実際は目で見えた訳だが、それはたまたまだったんだと、僕はそう認識している。

 

毎回毎回見えたら身が持たないだろう。

 

これがスピリチュアルを信じるに至った理由の一つである。

 

目に見えるもの全てがすべてではないということ。

 

そこには神がいるかもしれない、天使がいるかもしれない、悪魔がいるかもしれない、そしてなにもいないかもしれない

ということ

 

可能性があるということ。

 

今は実際に太四郎の声が伝わってきたり、何かをしている様な気がしたり、

脳に流れ込んでくるような感覚。

 

その感覚がある限り、

僕は幽霊を見た時のように、太四郎を見ている。